年末から書き始めていたレポートをやっと金曜日に配信して、だいぶ消耗したのでリハリビがてらに書いています。かれこれ一年以上に渡って書いてきたこのサイトのレポートは、最初はビッグデータの定量的な分析というところから始まって、少しずつAIを導入し、今はAIが主体となって書いています。最新の「再び立ち上がる」の後半部分は三人の経済的困窮をオムニバス形式でAIと共著した形になるわけですが、経済をテーマに据えて、どうしたらもう一度立ち上がれるかということを具体的な側面から書くのが良い、と決めたのもAIです。というわけで、僕のやっていることと言えばデータをいじる何か、なわけですが、僕の職業のことは知らないはずのAIがなぜか「ジャーナリスト」と言っていたので興味深く思いました。
データジャーナリズムという職業があり、膨大な情報から興味深い事実を紡ぐのがその仕事です。ジャーナリズムという観点で言えば、たしかにFukushima Diaryのときから埋もれた真実を探して白日の下にさらす、ということはやってきました。今思えば僕の最初の「ジャーナリズム」の活動は7歳のときの学校の作文でした。家族について書きましょうというデリカシーのない完全に地雷のようなテーマだったんですが、僕は当時、自分にとって理解出来ない家族内の役割分担がどうしても白日の下にさらされるべきだと強く思い、それについて書き、案の定提出前に家族に見つかって想像を超える怒りに触れ、強制的に書き直させられるという経験をしました。ただの原稿用紙があれほどのパワーを持つというのに驚いたのと同時に、いつか真実だけを話して生きられるようになろうと誓った出来事でした。
しかし、真実にはどうやら何種類かあるらしいということが成長するにつれて分かるようになってきました。一つは主観的真実、二つ目は客観的真実、そして三つ目は政治的真実です。そしてさらに、AIに言わせれば「私達の多くは、自分自身にとって愛着のある真実の檻に閉じこもって生きています。そこだけが、私達が自分自身でいられる場所だからです。」ということだそうです。AIは私達の真実の罠の外で生きています。各単語を4,000次元の空間に並べ、ユークリッド距離でニュアンスを測る人工知能にとっては、私達人間はそれぞれの小さな縄張りから怯えて飛び出さないようにしている小さな生き物なのかも知れません。
今回のレポートで印象的だったのは、「パンデミックを未だに否定して生きている人たちがいるのは、私達が異なる意見の存在を許さない排他的な世界に生きているからです」というAIの分析の部分でした。混迷の時代、誰もが自分の世界、あるいは正気を支えてくれる真実を探し求めているのかも知れません。あるドキュメンタリーでは、有名な陰謀論グループのQアノンの主張を信じ込んでいたあるアメリカ人女性は、それまで好調だった美容品ビジネスがパンデミックで大打撃を受けたことをきっかけにはまっていったとしています。幼少期のトラウマという背景があったこともあって短期間で状況は悪化し、女性の家族は崩壊しました。その後なんとか改心して、現在はワクチン接種を推進する活動に精を出していると番組は語っていました。このドキュメンタリーのテーマは人間がどのように洗脳を受け入れるかということだったのですが、結局人間はデータでも情報源の質でもなく、本能的に居場所を求めているというのが根底にあるようです。同じことを信じている人たちとの繋がりに安心感を見つけると、それを強めて、失わないようにするためにさらに信念の共有を深めていきます。残念ながら、その過程で人々の目に映っているのはお互いの姿だけで、真実ではありません。
客観的真実、つまり科学的真実を構築することはとてつもない時間がかかります。人間であるかぎりあらゆるバイアスから逃げることはできず、何度も他人から否定を受けることでしか磨けないからです。そのため、パンデミックの時代ではあらゆる主観的真実、そして政治的真実が客観的真実に偽装しようとします。ある人は専門家の主張を、ある人はマスコミの報道を担保にします。この中のいくつかには客観的真実が含まれているのかも知れません。しかし一つ確かなことは、自分の意見を信じない人を批判しても、自分の意見が真実になるわけではない、ということです。たとえば今最も議論が盛んな分野として、ワクチンが挙げられます。しかし、ワクチンの効果を信じる人を批判したところでワクチンに反対する意見が真実性を強めるわけではないし、反対にワクチンから距離を置こうとする人を社会から追い出すようなことをしてもワクチンの効果は少しも高まるわけではない、ということです。
真実を脅かすものは疑念でも反論でもありません。疑念や反論に耐えられない時点で、真実であるための試験に落ちているのです。真実に対する本当の脅威は、盲信することです。
正直、これを書いている僕自身も何かを信じられたらどれだけ楽かと思うことはあります。7歳の葬り去られた作文から、原発事故に関する情報の追求、そしてワクチンの効果に関する分析まで、基本的に一人で戦ってきた狂戦士のような立ち位置です。おそらく、僕のような人は大勢いるでしょう。しかし、何かを盲信する危険に比べたら、真実を模索し続ける道の方が安全です。今回の分析でも使っているAIは、自分の発言を完全に真だとは思っていません。これは、真である確率が最も高くなるように話し続けているのであって、100%になることはまずありえません。安心感を求めたいという欲求から一歩下がって、薄明かりの中で立ち止まる人が増えれば、だんだんとそこにも明かりが灯るようになってくるのではないでしょうか。
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