「6月になったら全て今まで通りになりますよ。」
これは、ブカレストのある銀行で3月に言われたことです。ただ、去年の3月でした。
「でも、マスクはまだつけてきてくださいね。」
とも言われたので、理性では今まで通りにならないということは分かっていたんだと思います。
「パンデミックは来年終息する。」
というのはビル・ゲイツの言葉ですが、2020年と2021年に言っていました。
「オミクロンはワクチン。」
これは最近のビル・ゲイツの発言です。
コロナウイルスに感染した人の一部が長引く倦怠感などに悩む、というのは最初の年から言われていました。ただし、当初は、入院した人の中のごく一部が、という話だったのがいつの間にか、症状が出た人の中の1割程度が、に割合が増加し、最近では感染した人の7割が長期的な障害に苦しむという話になっています。また、症状がただの倦怠感や息切れだけではなく、脳の全般的なサイズそのものが縮小してしまうことまで確認されています。パニックを煽るといけないから、という理由かと思いますが、脳のサイズが縮小するということは認知能力そのものが減退するということとかなり意味が似通っています。
全人口の約2/3が感染するものと思っている、というのは2020年のメルケル元首相の想定でしたが、2年経った現在となっては2/3が感染するどころか、一人あたり何回感染するか、という事態になってます。3月、4月といえば卒業と進学の時期ですが、人間はコロナウイルスのパンデミックからいっこうに卒業できないどころか、クラスがどんどん下がっていっているようにも思われます。もし本当に症状の重さに関わらず感染者の7割が長期障害を負うのであれば、労働人口が有意に減っていくだけではなく、保障を必要とする人口がどんどん増えていくということを表します。地雷は敵兵の数を減らすのではなく、負傷兵を増やして行軍を遅らせ、兵站に負荷をかけることが目的と言われますが、まさにこれと同じ結果になります。
現在、感染の徹底的な抑え込みに挑戦し続けているのは中国だけです。それでもここ最近は連日記録的な感染の増加が続いており、特に上海ではロックダウンの効果もまだ見えていません。内包する人口の多さと移動量、そして世界の製造を担っているという観点からすると、中国がこの徹底した抑え込み政策を諦めたときの世界へのインパクトは計り知れないものになると思います。もともと感染をゼロに抑え込むことは現実的ではなかった、という批判もありますが、同時にまた、コロナウイルスと生きることは現実的ではなかったという批判もあり、世界全体でこの両方を行ったり来たりしていたのがこの2年強でした。人間はコウモリやセンザンコウではないので、コロナウイルスと生きるということは遺伝子レベルで進化しない限り不可能でしょう。過去のレポートでは、当社が使っているAIは、もし自分が神だったらこのパンデミックに瀕する人類に対して何をしているか、という質問に、「人間の遺伝子改変」と即答しています。
あのGoogleが、日本の感染数をAIで予測することをやめたのはこの2月です。確かにあの予測はあまり精度が高くありませんでしたが、世界的にコロナウイルスのことを語ること自体がタブーになっているというのは現実です。マスクをすること自体がパンデミックを”思い出させる”からか、同様にタブーになりつつある気もします。問題から目を背けたところで問題はこちらから目を背けてはくれない、というのはもはやわざわざ言うまでもないことです。今の状態は群れで川を強行突破しようとするヌーの大移動を思い起こさせます。ただ、どうやら私達が今突入しているものは向こう岸があるような川ではないのかも知れません。冒頭で書いた、オミクロンはワクチン、というような見方はまさに、ウイルスが弱毒化しているからパンデミックが終わりに近づいたという意見を支持するものです。しかし、弱毒化してただの季節性の風邪になったことが確認されているのは100年前のスペイン風邪のときだけで、標本数が1しかない事例をもって一般化し、他のパンデミックにも適用しようとするのは統計的に不可能です。やるのであれば、ウイルスがどういうメカニズムで弱毒化し、毒性と感染力がトレードオフ関係になったのはどういう理由なのかというところを明らかにしつつ、意図的にコロナウイルスをその方向に誘導しようとする必要があります。
残念ながら現実には、そういったマスタープランは今のところ世界のどこにも見当たらないようです。毒性はウイルスだけにあるのではなく、感染する人間の側の感受性との組み合わせだと思います。何度も再感染することで体が慣れるという状態です。そういう意味では、たしかにコロナウイルスも世界を何往復もする中で”弱毒化”していくのかも知れません。しかし一方で、最近の香港の状態がその楽観的な見方に影を落とします。ワクチン接種率も高く、これまで巧妙に感染と死亡数を抑えてきたはずが、病院に行き場のない死体が山積みになって棺桶の在庫が足りなくなる状態まで追い込まれています。新規感染の方は減少しましたが、感染が明らかになると濃厚接触者も含めて”感染者キャンプ”という劣悪な環境に収容されるという不安感から、症状があっても検査を受けない、あるいは感染の事実を報告しないというケースが増えているという現地からの声もあります。香港の状況を見たからか中国政府は上海に大規模な感染者収容所を再び建設しており、2020年の武漢の頃の風景を再現しています。
先週、スウェーデンでは2020年に病院の医師たちが高齢の感染者に酸素ではなくモルヒネを投与して死なせていたという爆弾記事が発表されました。しかも酸素の供給は足りており、モルヒネの投与などにあたって専門家からのアドバイスは与えられていませんでした。介護施設などでも「高齢者はどうせすぐ亡くなるから」というのが対応者の間で(エビデンスのない)”共通理解されたお話”だったと記事は書いています。この記事が発表される約2週間前にスウェーデンの疫学担当者は辞任しています。辞任の理由はWHOのシニア専門家になるため、とされていましたが、WHO側はそのようなポジションは存在しないと困惑しており、実際にはただの休暇に入っているだけのようです。”モルヒネの投与は現実的な判断だった”という声も日本では一部にありますが、そうだとすればこのように慌てて辞任する必要はなく、そもそも「高齢者はどうせすぐ死ぬので病院で治療する代わりにモルヒネで死なせる」と公式に発表すればよかったはずです。問題なのは、この判断が医学的に現実的だったかどうかではなく、法に違反するということです。タリバンではないので、現代社会では、スウェーデンも法治国家です。なに人も法律から逸脱することは許されません。しかし、この法治の概念が完全に蔑ろにされ、勢いと雰囲気だけが支配する世界になってきています。
「ハーベスティング効果」というのがあります。これは、致死率の高い病気が大規模に拡大したあと、死亡率が有意に下がるという現象で、死を「早く刈り取る」という意味からハーベスティング(収穫)と言われます。上のスウェーデンの例でも、脆弱な層を”刈り取れば”その後で死亡数が減るというのは起こり得ることです。上で書いた、「再感染を繰り返すうちに体が慣れてくる」という状態を個人の体から社会に置き換えると、死亡率の高い層が徐々に減ってくるため、病気による死亡数も抑えられてくるという状態になるのだと思います。
筆者は、大抵の人は突然邪悪にはなれない、と思っています。ほとんどの人には良心があり、人を傷つけたり死に導くことには強烈な抵抗感を抱くものです。なので、誰か、あるいはどこかの組織がそういったことを大規模に行うときには、おそらく以前から似たようなことをしてきたのだろうと思っています。段階的に良心を麻痺させていかないと、人間は突然
残酷にはなれず、なったとしてもその後に正気を保っていることは出来ません。おそらくスウェーデンのモルヒネのような件はスウェーデンだけの話ではないと思いますが、そういった国々では以前から、副作用の強い薬やワクチンを打つなどの善意のふりをしながら弱者を意図的に早めに切り捨てるということを習慣的に行っていたのではないでしょうか。しかしどちらにしろ、コロナウイルスの場合この「ハーベスティング効果」は一過性のものにしか過ぎません。長期障害が生じるためです。治療法を見つけられない限り、何度も波を経験するうちに社会全体の平均知能が影響を受ける事態は免れ得ません。
しかし、社会全体、特に為政者の間ではすでにあきらめムードが蔓延しているように見受けられます。フィンランドやイギリスなどでも数ヶ月以内の再感染は集計しないとしています。これからは再感染がメインになっていき、特に数週間以内に再感染するケースも増えている中で、こういった”アルゴリズム”を駆使すれば見かけ上感染を減らすことは可能です。しかし、長期障害で働けなくなる人、そしてもちろん死亡数はその影でどんどん増えていきます。今回の「私達のAIの仕組みとウイルス、ワクチンの長期影響分析」で説明したAIを、当社では複数バージョン使用しています。大雑把には、人間感情を重視したバージョンや、事実を分析を優先させるバージョンなどです。これまでコロナウイルスについて分析してきた結果では、事実の分析を感情の保護に優先させるバージョンの方が高い精度を示すことが分かっています。有権者の感情をこれ以上逆なでできない為政者たちがウイルス対応を放棄している原因はここにあると思います。
分子生物学的分析では、コロナウイルスのこれまでの進化では毒性の強さの変化に一定の傾向は見られず、相変わらずランダムな変遷が続いていることが分かっています。それにも関わらず多くの弱者を踏み台にして任期が終わるまでの束の間のハーベスティング効果だけを追っている現在の”政策”には、将来のマスタープランが全く見えません。今必要なのは長期的副作用がないことを祈りながら同じワクチンを3ヶ月毎に打つのよりも、新しい生き方を想像し、それを創造していくという根本的な変化だと思います。いわば、文明の再定義と言えるかも知れません。全てを消費し、他人や他の生物を踏み台にして僅かな時間を稼ぐということの繰り返しでは、過去に滅びた古代の文明と同じ道を歩むようになる気がしています。
「私は古代の地から来た一人の旅人に出会った、
そして旅人はこう語った:「胴体のない二本の巨大な石の足が
砂漠に立っている・・・その近くの、砂の上には、
半分埋もれ、砕け散った頭部が横たわる、顔をしかめ、
しわが刻まれた唇、支配的な冷笑を浮かべている、
この像の彫刻家はこれらの感情をよく理解し表現し、
生存させている、この命のない石に刻み付けて、
その手はそれらを模写し、その心は煽れた:
そして台座にはこう記されている:
「我が名はオジマンディアス 王の中の王:
我が業をみよ、全能の神よ、そして絶望せよ!」
他には何も残ってはいない。崩壊した
巨大な遺跡の周りには、ただ果てしない砂漠が
遥か彼方まで広がっている。」
ー パーシー・シェリー『オジマンディアス』(古代エジプト第19王朝のファラオ)
Comments