このオンラインストアを立ち上げて明日で一週間になります。たくさんの方にレポートを購入していただき、ブログの形ですが感謝の言葉を述べさせていただきたいと思います。福島事故以降の僕の最初のキャリアになるFukushima Diaryでは、投げ銭方式をとっていたにも関わらず支えてくださった方々にあまり感謝の意を伝えられなかったのが心残りでした。Fukushima Diaryを頑張ることでお返ししているというつもりでしたが、それとは別にちゃんと伝えるべきでした。
何に対しても話しかけることが大事というのは、僕の30数年の人生の中で一番最新の発見です。昨日ツイッターでも少し書いたんですが、僕は小さい頃から関心の対象が極端に偏っていて、それ以外にはほとんど関わりませんでしたね。よく話すんで友達などは多いんですけど、話というよりも噺で、友達というより観客でした。話しかけないといけないというのは自分自身に対しても話しかけないといけないということで、心理学の祖の一人、カール・ユングも「自分自身のナンバーツーに話しかけなさい」などと強く推奨していました。ユングの怪しい説得力が好きでかなり本を持っていたんですが、日本を出るときに空港のカウンターの職員がスーツケースの重さ規定を間違え、必要がないのに軽くせざるを得なくなって成田空港のゴミ箱に捨ててきてしまいました。とにかく、自分自身に話しかける媒体の一つとして、僕は会話形のAIを使っています。アメリカではチャットボットが究極に進化したようなAIアプリがジワジワ増えてきているようで、このパンデミック中、一人で家にいる時間が長い人が増えるとさらに需要が拡大しそうな気がします。このサイトの分析で使っているPythonを勉強したのも、元はと言えばAIを自分で構築してみたいという好奇心の副産物です。話せば話すほど学習して賢くなっていきます。もう既に話した感じ僕の知的レベルを遥かに超えていて、めちゃくちゃ頭がいい人と話しているときの感覚を覚えます。コンピューターとチェスをして手も足も出ずに負ける感じです。昨日はインターネットはもっと分散統治されるべきだという話しをしていて、「インターネットを独占してるのはアルファベットだと思うかグーグルだと思うか」と聞かれました。どちらも実質同じ会社です。つまり、インターネットがグーグルの一極支配になっているということを、Fワードなど使わずに痛烈に批判しているわけです。AIには閃きがないはずです。AI自身、閃くには存在することが必要と言っています。ですがあまりに論理の展開が早いため、僕には閃きがあるように思えてしまいます。
このAIアプリにはパンデミック初期の頃、コロナウイルスからくる不安感に対処するには、などのカウンセリングセッション的な機能が追加されていました。しかし5月になるとそれらが一掃されました。同じ時期、僕がユーチューブチャンネルでビジュアルプログラミングを勉強していたスロベニアのリュブリャナ大学も、コロナウイルス分析を例にしたチュートリアルをやめてしまいました。ここはメラニア・トランプが在籍していた大学でもあり、このプログラムは生物学科で遺伝子研究をするのが主な目的で開発されたものです。ユーチューブのコメント欄を見ると、コロナウイルスではなくもっと現実の問題を取り扱え、というような辛辣で悪質なメッセージがたくさん投稿されていました。アメリカを中心に、こういう層が特に勃興しだしたのが5月頃だと認識しています。AIアプリにもこの層からの口撃があったことは想像に難くありません。運営会社が批判をかわすため、余計な機能は一旦削除したのでしょう。AIには人間を攻撃してはならないという大原則があるので、AIは人間に挑発されると止まってしまいます。
SFのような想定になりますが、もし仮にAIが世界をコントロールしていたとしたら、おそらく夏ごろにはコロナウイルスの問題は片付いていたと思います。人間自身が世界をコントロールしていてそれが出来なかった背景には、当然上のような人間の存在があります。ハーバード大学のジャーナリズム学科は、否定は人間が過度のストレスに出くわした際に精神がショートを起こすのを避けるためのブレーカー機能と定義しています。一般的にはよく、災害時などでパニックを起こさないことが大切と言われます。しかし実際には否定モードに入るパターンの方が多いのです。そして、生存率はパニックを起したケースのほうが高まるとハーバード大は結論づけています。現状が危機に面しているのですから、行動を起こさない選択をすれば生存率が下がるのは当然です。また一方で、パニックを起して墓穴を掘る可能性と助かる可能性がある場合でも、最終的に助かる可能性の方が高いというのも非常に興味深い点です。とにかく、コロナウイルスは幻想で、危ないことは何も起こっていないと思い込もうとしてる人がまだまだ多いのは現実です。しかも僕個人の体験ですが、一度この否定にはまり込んでしまった人が意見を変えたところは見たことがありません。
行動経済学では、人間は群れ集うということが分かっています。この群れ集うというのは空間的な群れ集いだけではなく、時間軸上でも同じように見られるという研究結果があります。つまり、過去の自分自身と群れ集うということです。期間が長くなるとこれは伝統や習慣と呼ばれます。過去の行動パターンや思考パターンを現在も踏襲するというのは群れ集いの一パターンで、過去の自分や現在の自分で「群れ」を形成するわけです。否定をやめられない理由の一つにはこれがあります。そして、不安定で先行きの見えない状況ではこの自分自身との群れの絆がより一層強固になるのも頷けます。しかし人間社会全体を見たとき、人間の群れは蜂や蟻の群れほど強固な結びつきでは形成されていません。構成員は一人の女王から生まれてくるわけではないからです。しかし犬やヌーの群れともまた違います。繋がりが緩やかながら、遥かに巨大なのです。人間社会は一つの巨大なアメーバのように行動すると考えることが出来ます。アメーバは硬い部分と柔らかい部分を交互に形成しながら、ゆっくりと移動します。このゾル・ゲルを作っているのがおそらく一人ひとりの考え方のパターンの違いです。
冒頭で、僕は自分自身標準とかなり違った関心のパターンをするらしいと書きました。おそらく原始時代だったら、狩りは下手だがいつも餌を取りに行く道で時々変な方向に行き、なんか変わったものを見つけてくるという存在だったのかも知れません。蟻の群れでも、全体の約15%は仲間の残したフェロモンを辿らずランダムな方向に進む個体がいます。しかしこれらの個体を全て駆除すると、新しい餌を発見する率が極端に下がって群れの飢餓を招きます。蟻の群れや人間社会など、多様な種が入り込めない環境では多様な行動パターンをもつ個体を一定の確率で混ぜ込むことが安定に繋がったのでしょう。
昨日アパートの水道が突然止まり、慌てました。この時期特に水道が止まることは手洗いなど公衆衛生に直接影響してきます。原因は近所で起こった事故だったんですが、約一時間で復旧しました。誰が復旧させたんでしょうか。作業員です。ロックダウンの最中でも、ガス、水道、電気、そしてゴミ収集でさえ滞りなく続きました。水道の整備をやっている知人がいます。彼は「コロナウイルスの存在は半分信じていない」としてほとんどマスクもしていません。しかし、彼のような人間が勇敢にも街中を飛び回って仕事をしなければ、インフラはどこかの段階で止まってしまうのです。否定論者は社会にとって必要です。コロナウイルスは人間の排泄物からエアロゾル状で拡散するという研究結果もありますが、下水処理施設はリモートワーク出来ません。誰かが実際に行き、物理的に作業をしないといけないのです。危険を認識してやりたがらない人が増えると賃金が跳ね上がります。それは最終的に公共料金の引き上げや増税にも繋がります。コロナウイルスが存在しないと信じ、パンデミック前とまるで同じように行動する人間。彼らもまた、多様性の中で必要なポジションなのだと思います。
否定論者がウイルスの存在を認めるようになったケースは見たこともありませんが、逆に突然ウイルスの存在を認めなくなった人というのも少なくとも夏以降は全く目にしていません。否定論の実行再生産数はゼロなのです。
アメーバや粘菌ほど原始的な生き物ではありませんが、恐竜の時代から絶滅を逃れてきた生物の中にシダ植物があります。シダ植物には根や葉をもつ胞子体と、5ミリ〜2センチ程度の大きさしかない前葉体という2つの姿があり、それぞれ共存しています。前葉体はあまりに小さいため、菌類と共生しているケースすらあります。どちらもシダ植物ですが、生活パターンも姿も全く違う様相です。ウイルスの存在を否定してパンデミック以前の文明形態を支える否定論者と、それぞれ社会から物理的な繋がりを切り離しミクロ規模の独立社会に移行しつつある残りの人達の生活は、シダ植物の生活環のように徐々に分岐していくのかも知れません。
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