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fukushimadiaryoffi

やってしまうまで毎回無理に思える



こんにちは、現在ルーマニアは天気のいい日曜日の朝です。最近こちらは天候が安定していて、明け方の冷えも5℃くらいで止まっています。むしろ虫がいなくなって育ちやすいのか、11月になっても庭のトマトが週3つくらいのペースで実をつけてくれていて助かります。


昨夜やっとアメリカの大統領選挙の結果が確定し、ホッとした人も多いかも知れません。今回は事前予想で民主党のバイデン候補者が有利と言われており、集計中もほぼその通り進みました。途中バイデンがアリゾナで勝ったことが決まってからは、アルジャジーラからブルームバーグまでバイデンが有利な情勢で進んでいることを報じていましたが、なぜか日本の報道局だけはトランプ氏が大きくリードというトランプ個人のツイートを引用し、まるで選挙情勢のように記事を書いたために日本国内だけトランプが優勢という印象を持つ形になっていたのが強く記憶に残りました。確かに記事をよく読めば、それは選挙の情勢ではなくただのトランプの個人的意見だということは分かるんですが、なぜトランプのツイートを共同通信が報じないといけないのか疑問です。おそらくこういったことは今始まったことではなく、以前から慣習のように行っていたのでしょう。トランプは当然英語でツイートしますし、ホワイトハウスに関するニュースは全て英語で発せられます。その中から一部だけを抜粋し、和訳して報じることで日本の中だけ世界の共通認識と違う意識が生まれます。特にトランプの言動に関して以前からこういうズレを感じていましたが、今回の報道で明らかになりました。


僕は政治には完全に距離をとっていて、特定の支持団体はありません。それでも今回トランプに否定的なのは、彼の息子たちが不必要に野生動物をハンティングし、殺された動物を誇示していることが個人的に許せないからです。しかし現実には、人間は食物連鎖の頂点に立つものではありません。食物連鎖は一方通行ではなく、リング状になっているからです。今人間はコロナウイルスという捕食者に追われています。ウイルスというと非常に微小な存在に思えますが、人間を囲い込むときにはライオンやハイエナと同様の戦略をとっているように思えます。おそらく、オープンスペースで攻撃側と守備側が複数のプレーヤーで構成されている場合、取れる戦術は一定数に集約されてくるのでしょう。まず攻撃が波状で、守備側の体力と集中力を削ぐというパターンが大型肉食獣の狩りと一致します。その後俊敏な一部の攻撃者が強襲を加えて草食獣の側の守備陣形を崩すというのも同じです。守備陣形を取っているかぎり、攻撃側の機会は限られるからです。そうして陣形に乱れを生じさせたあと、はぐれた子供や負傷した個体を集団で囲んで孤立させるという戦術も似通っているように思えます。


コロナウイルスは感染者に鎮痛作用を引き起こしており、それが感染の拡大の一助となっているという論文が10月の始めに発表されました。感染者は痛みを感じにくいため、知らずに人混みなどでの活動を続け、それがさらなる感染の拡大を引き起こしているというのです。これは、コロナウイルスはまたカビ類や菌類と同様、感染した個体の行動パターンをある意味ハッキングして自身の増殖に繋がる振る舞いをさせていることも示唆しています。猫の寄生虫トキソプラズマは、猫から猫に感染する際ネズミを介していることが知られています。ネズミに寄生したトキソプラズマは白血球を乗っ取ってネズミの脳に到達します。脳に到達したトキソプラズマはネズミを無気力で恐怖心を感じにくくし、またわざわざ猫の尿によるようにさせて次の猫に食べられやすくなるように行動させます。他にもこのように感染者の行動の変化を引き起こす微生物は多く知られています。コロナウイルスはもともと動物の病気で、感染した獲物の肉を食べることでうつります。だとしたら、感染者に強烈な倦怠感を引き起こし、嗅覚を奪って危険を察知しにくくさせ、また食欲をなくして弱らせるということはコロナウイルスが食物連鎖の上位に感染対象を乗り換えることの手助けになります。咳はもちろん群れの他の個体に自身を広げるためですが、コロナウイルスが引き起こす症状の中に色々なヒントが見え隠れしている気がしてなりません。またそうだとすると、おそらく感染して捕獲しやすくなったコウモリやセンザンコウを食べた人間はまさにコロナウイルスの罠にはまったと言えるでしょう。さらに、そのあと正常性バイアスにはまり社会全体としてコロナウイルスを避ける行動を取らない選択をしたトランプは、直接の因果関係があるにしろないにしろ、捕食者にとって都合のいい振る舞いをしていると言えます。まさに宿主の白血球を乗っ取って神経系の中心である脳に到達したトキソプラズマのようです。


人間は何からでも学ぶことが出来ると思います。でも、忘れることも学ぶことと同じくらい大事だと思います。一度学び、そのあと忘れると染め物のように品位が残ります。僕はそこが学ぶことの重要性なんだと思っています。一度学んだことはそのあと忘れても判断の随所に無意識レベルで影響してきます。また、再び学び直すのは最初に学ぶ時よりも遥かに効率よく進みます。以前のブログでも書きましたが、たぶん現在のこのパンデミックの状況は終わらないと思います。一度波が去っても他の国などからまた戻ってくるでしょう。歴史は、生き方を根本的に変えるタイミングに来ています。他者との繋がりこそが人間を人間たらしめているという人もいます。そう考えると、社会的距離などの実施は人間らしさを放棄することなのかも知れません。しかし、他者との繋がりにより依存している動物は他にたくさんいます。犬、蜂、蟻、牛や馬、鳩などです。彼らは人間なのでしょうか。違います。これで繋がりが人間であることの必要条件ではないことが分かります。また、彼らの方が繋がりを人間より遥かにうまく維持しているとも言えます。人間を人間たらしめているのは、間違いなく知性の働きによるものです。社会的距離を保っても知性を保つ限り我々は人間なのです。知性とは、知識の量や計算の速さのことではありません。知性とは、まだそこに存在しないものをイメージし、存在するよう現実とのギャップを埋められる能力のことです。まだ新しい社会のあり方がなければそれをイメージし、現実との間に橋をかけていく能力。それが知性であり、我々が人間である理由です。コロナウイルス以前に社会がどうあったかということは、一度忘れないといけないタイミングが遅かれ早かれくると思います。しかし忘れたあとでそれでも残り香のように続く品位がそれまでの集大成であり、我々をよりよい方向に引っ張り上げてくれる要素なんだと思います。


学ぶというのは、断続的に忘れる過程が入ったとしても、原則として常に続くプロセスです。人間はインプットからもアウトプットからも学ぶことが出来ます。僕も毎日データを分析しており、分析する前はよくこんなの不可能だと思っています。どの分析も、やる前はエベレストのように高い山に思えます。それでも一呼吸一呼吸に集中しているうちに、いつの間にか終わっています。不可能だと思う感覚は真実ではないんだと常に学んでいるわけです。特に前回の「コロナウイルスの不都合な真実」は要素が複雑に入り組んでいて大変でした。今は、以前の「冬に備えよ」で立てた、アジア人の鼻の形状が感染初期でのウイルスの増加を鈍化させるのに役立っているのではないかという仮説を分析するため、各国の人種構成とコロナウイルスの感染状況を比較しています。まだ一合目という感じですが、完成したらまた報告していきたいと思っています。

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